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三宅島奮戦記 その3 そこで生きると言う事は [三宅島]

2005年1月中旬、避難解除前の三宅島に乗り込みました、念の為もう一度言いますが仕事をしにです。

話は前後しますが上陸直後はインパクト大です、機関銃で撃たれたようなサビ跡がリアルな車(写真どっかいっちゃった)とか崩れた自販機など。
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ダンプとか重機も上陸しており、災害復興って大変なんだなぁと思う。
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そんな中、前に書きましたが島内観光(失礼だな)?に勤しんでいた私は三宅島の現実を目の当たりにする。
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1983年の噴火で溶岩に飲み込まれた学校。
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溶岩跡がそのままです。

やたらリアルですが景色はやはり言うこと無しで、南の島大好き中年の心を心底癒す。
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正直言ってしまえばホントは立ち止まってはいけない所でも写真撮ってます、もちろんガスマスク携帯してですが。そんな所の写真の一つにこれがあります。
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これを読んで伊豆大島に居たばーちゃんの台詞を思い出した。
1986年に三原山が噴火し、全島避難になったのだが、避難生活がしんどかったらしく、「次、噴火しても何処へも行かん」と言っていたそうな。祖母にとって大島は生きる場所であり、また死にたい(語弊があるかもしれませんが)場所でもあったんだなと。
そんな祖母もすでに故人、無事大島で大往生致しました、最後の場所が大島の家だったので、きっと満足だったでしょう。

日本2周目に、噴火後の普賢岳を回った時も、避難勧告出ていたはずですが、そこを動かずに、生活を営んでいる人。すぐそこは水無川、土石流の傷跡生々しく、火山性微震続く中、一生懸命そこで生きている。生きる場所であり、見捨てられない場所であり、やはり、その人にとって最後の場所であってほしい場所なのだろう。

で、三宅島ですが、明日で避難解除から丸5年。まだ噴火前の人口に戻っていないらしい、島に戻っても45%は立ち入り禁止、自分の家があってもそこに住めないのである。早くガスが消えてみんなが生きたい所で生きれるようになることを心から祈ります。

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危険そうに思えますがちょっと硫黄臭いだけですので、鳥好き釣り好きダイビング好きの方々(見てるか解らんけど)、ぜひお勧めです。


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ルシファー

良い画(え)が撮れてる。

住めば都とは違うけど、離れられない気持ちは
痛いほど分かるよ。
人の気持ちは杓子定規じゃ測れんからな。
by ルシファー (2010-01-31 21:18) 

pn

そうなんすよ、また噴火するのは分かってても帰りたいから帰る。そんな人のために仕事ができた事を誇りに思ってます。
by pn (2010-01-31 22:22) 

Nyandam

青い海きれいですね。
普賢岳の近くで暮らす人を知っています。
相当大変だったようですが、そこで生まれて育ったのでそこにいたいようです。神戸の人なんかもそうでしたね。
by Nyandam (2010-02-01 01:26) 

pn

Nyandamさんもぜひ行ってみて下さい、良い所ですよ。
by pn (2010-02-01 06:40) 

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