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東西南北隅に立て!その93 復活 [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月21日 晴れ

連泊を決め込みバイク屋に向かう。
どうやら梅雨は明けたらしい、テレビは見るもんだな(笑)。

さてブレーキパッドですが、在庫があったのでその場で交換。助かった。

慣らしついでに少し走り宿に戻る。



7月22日 晴れ

少しは体も軽くなり、財布も軽くなったがいざ出発。
R188で岩国へ向かう。
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右手が写り込んでます(笑)

R2に乗り換え広島を目指すがせっかくなので厳島神社に寄ってみた。
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鹿が普通にいるんだねここ。

そして広島
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原爆ドーム、ここ来たかったんだぁ。

R31に乗り広でR185、そして突っ走る。
が本州太平洋側ってなんだかなぁ、景色がつまらん。

三原でまたR2、尾道の駅で寝ようかと思ったが諦め県境の大門駅に向かうが探しきれず。

面倒なので山間の工事中らしき道の空きスペースにテントを張る。

寝れるのか?




東西南北隅に立て!その92 取れない疲れ [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月20日 晴れ

重い体を無理やり動かし宿を出る。

R10で日出、そこからR213で宇佐。
再びR10で北九州、R3で門司。R2のトンネル通って本州に入る。

R2、R190の繰り返しで徳山へ。
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これが徳山の城なのかは不明(笑)

宿を探すため駅へと向かう。素泊まり¥3500を見つけチェックイン。

が、今度はブレーキパッドが限界のようだ。
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また連泊かな?





東西南北隅に立て!その91 先行き不安 [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月19日 晴れ

朝は曇っていた。
どっと疲れが出たらしく体を動かす気になれん。歩く事もままならない。連泊を申し込む。

バイクを置いて町に出る、大分市街はあまり見る所が無い。
重い足を引きずりながら薬屋を探す、やけどをしているのである。
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先日の写真ですが、時計の痕分かりますかね?腕時計外して走ってたらそこだけ妙に焼けてあっという間に水ぶくれ。

ジュクジュクヒリヒリでたまらないので塗り薬を買って宿に帰る。なんとバイクの駐車代を請求された。

さ、ゆっくり寝んべぇかね。




東西南北隅に立て!その90 疲れ [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月18日 晴れ時々曇一時雨。

夜、パラっと雨が降った。

で、朝もパラっと降った。

んで、もう降りそうにないので
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出発。

R220を突っ走る。
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振り返って1枚撮ったと思う。

串間で県道に乗り都井岬へ。
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つまんないのでさっさと出発。山の景色は良いです。

南郷で再びR220、日向灘を北上。
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宮崎に入り、宝くじ売り場があったのでサマージャンボの情報を仕入れる。
R10に乗り換えひたすら北上。

延岡でR388。
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国道とは思えない怖い道(と、日誌には書いてある)。

大分に突入、ひたすら走る。
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ここどこだろう?

佐伯でR217、臼杵で間違えて有料道路に乗りR197に出る。

そして大分市内に入り、シケコミ宿の様な安宿に入る。1泊¥2200ナリ。

Gパンの膝に穴が開いているんだが
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焼けてるなぁ。

安いから連泊しようかな。疲れてきている・・・



東西南北隅に立て!その89 佐多岬 [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月17日 曇時々雨のち晴れ。

本土に戻って来た、九州上陸である。

R10を走る。
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噴煙凄い。

国分でR220に乗り
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桜島をちょろっと見学。灰で滑りそうで怖いがそんなでも無かった。

このまま海沿いを走る、ちょいと県道走り、R269に乗る。
目指すが佐多岬。
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日誌には書いて無いが確か最後の最後で有料道路になるんだよ。
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到着。
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とっとと引き返し大根占でR448に乗り換え日南海岸に向かう。この道は良い。

途中ちょいと迷子になりながら無事R220に乗り志布志湾に出る。
大崎のくにの松原で営業しているキャンプ場を見つけ入る事に。

が、誰もいないので水道で頭でも洗うか。




東西南北隅に立て!その88 船の上 [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月16日 晴れ。

港にて野宿なんだが、蚊がジーパンの上から平気で刺してくる。南の昆虫恐るべし。
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で、確か昼位の出発だったと思うが鹿児島行のフェリーに乗る。
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しばらくデッキで海を眺めながら時間を潰し、船室に行ってみると俺の居場所が無い。
荷物を置いた棚の前が寝床なんだが横幅が全然無いので隣のにーちゃんがはみ出まくっている。

物理的にもデカい人なのでもーちょいそっち行ってくれ、と言っても焼け石に水なので船内を散策後、夜になって喫煙所の長椅子で寝る事に。

明るいと寝れないんだよね。




東西南北隅に立て!番外編 青春の1ページ [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

で、お馴染みの「東西南北隅に立て!」ですが沖縄を離れ、再び九州に上陸となります。
この後はさらにグズグズした旅になり、最後はあっさりと終わってしまいます。
その日まで何卒お付き合いの程を。

さて、前回の1992年7月15日編、「暗雲」で、書いていない事があります。


それは当時からさかのぼる事2年前、47都道府県完全制覇の旅に出る前の事。某バイク雑誌で紹介された漫湖公園の記事。ふりがなふってなかったがそのまんま読むらしい。

マジ?

調べた所沖縄では「ホーミー(ホーミ、宝味)」が女性器の事を指すのでそのまんま読んでいいのです。

1周目の時この公園を見つけられず、同僚に「ま〇こ公園ってあるんだってよ!」と言っても誰も信用せず。
上記の事を説明するのですが当時のpちゃんは変態野郎全開キャラ(今も変わらず)だったので冗談だと思われてしまった。

そして2周目の旅に出る事になったので、今度こそ!
と言う事で撮って来た。
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あるんですよ本当に。道路標識にMANKOって書いてありました。

後年、ここが野鳥たちのサンクチュアリでもある事を知りました。
三宅島のあかこっこ館のレンジャーさんたちが「え?漫湖行った事あるんですか?漫湖行ってみたいんですよね」と連呼してた時、ああ、野鳥の会の人たちには普通の事なんだなと思いました。

ちなみに日産の「ホーミー」って車あるでしょ?沖縄では発売されなかったとか。
凄い事情だが方言って面白いね。ボボとかメンチョも地域によってはアレになっちゃうんですよ確か。

兎にも角にも沖縄での最大の忘れ物はこれだったかもしれないなぁと当時を振り返るpちゃんでありました。





東西南北隅に立て!その87 暗雲 [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月15日 晴れ。

そして那覇である。
早朝に着いたので適当に流し、ひめゆりの塔に向かったはず。(日誌には書いていない)
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神奈川の塔。各都道府県の塔があったと思うのだが、ここってひめゆりの塔じゃないのかな?

時間を潰し土産屋へ。
室蘭工場へのお土産を送るが送料の方が高くついた。

そしてコインランドリーを探し、洗濯を済ませ港に戻る途中にトラブった。
路肩をすり抜けていたら脇から後ろを確認しないで飛び出してきたバイクを避けるべく急ハンドル。
縁石に突っ込みはしたものの転倒は免れた。

が、縁石に思い切り
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サイドスタンドセンサーをぶつける。

センサー虫の息で、反応しない。
これだとエンジンがかからないのでペンチでグリグリしたりして無理やり反応させる。
一応走れるが、たまに反応しなくなりいきなりエンジンが止まる症状が発生。まずいぞ。

とりあえず港まで行き野宿。
ついに沖縄では1回も宿に入らず。素晴らしい旅だ。

九州行ったらバイク屋探さないと。



東西南北隅に立て!その86 さらば石垣 [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月14日 晴れ。

那覇行のフェリーに乗るまでどう時間を潰したかさっぱり覚えていません(日誌にも宮古に寄った、しか書いてない)。

ここが
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八重山諸島の観光基地(笑)の石垣島のフェリー波止場の案内所。
夜になるとマットを敷いて寝てました。沖縄の夜って結構暑くない。地元の人によると台風の季節になると凄く蒸すとの事。良い時期だったんですね。

フェリーはてるま
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フェリーよなぐに
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そしてお別れ石垣島
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この後、フェリーは少し宮古島に停泊するので宮古で夕飯を食べた。

そして沖縄本島へと舞台は移ります。




東西南北隅に立て!その85 北上である [バイク]

1991年9月、会社を辞めてもう1度旅に出ました。忘れ物を探しに・・・

1992年7月13日 晴れ。

いよいよ与那国ともお別れである。
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最後の最後でこの写真ってーのもなんですが(笑)

さて、日誌には「与那国を出る、で、また石垣の港で野宿」
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「明日は那覇行きのフェリーの中、いよいよ北上である」としか書いてない。

そして帰路に付く訳ですが、もちろんまっすぐ帰ってません。